世界観の四柱 — シンギュラリティ、シミュレーション仮説、豊かさ、真理
神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである。
— ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.44
あらゆる宣言は、何らかの世界像の上に立つ。世界をどう見るかが、どこへ向かうべきかを決める。MONOLOG が「未来人として目覚め、万能人へ上昇せよ」と言うとき、その命令はつぎの四つの柱の上に立っている。
- シンギュラリティ――特異点は、すでに始まっている
- シミュレーション仮説――この世界は、シミュレーションでありうる
- 豊かさ――欠乏の時代は終わり、豊かさが既定となる
- 真理――最後に希少なのは、真理である
I. シンギュラリティ — 特異点は、すでに始まっている
1993 年、数学者で作家のヴァーナー・ヴィンジは、人間を超える知能が創り出されたとき、その先の歴史は現在の人間には見通せなくなる、と論じ、その転換点を物理学の語を借りて「特異点(シンギュラリティ)」と呼んだ。レイ・カーツワイルは『シンギュラリティは近い』(2005)で、技術の進歩が指数関数的に加速するという見立てのもと、その到来を 2045 年頃と予測した。
だが、特異点を暦の上の一点として待つことは、この概念の最も浅い読み方である。知能が知能を設計しはじめるとき、変化の速度はそれ自身を加速させる。その加速は、ある朝ふいに訪れるのではない。日々の微細な委託の累積として、音もなく進行する。 一通の文面を、一つの表を、一つの関数を機械に委ねるたびに、われわれは特異点の側へと一歩ずつ押し出されている。
われわれは、その前夜に立つ最初の世代である。それが「未来人」という語の、最も厳密な意味である。
II. シミュレーション仮説 — この世界は、シミュレーションでありうる
2003 年、哲学者ニック・ボストロムは、つぎの三つのうち少なくとも一つが真であると論じた。文明は祖先のシミュレーションを走らせうる段階に達する前にほぼ滅びる。達しても、ほぼ走らせない。さもなくば、われわれはほぼ確実にシミュレーションの中にいる。
この三択は、二つの事実と結びついたとき、ただの思考実験であることをやめる。一つは物理学の側の事実である。情報は物理的である(ランダウアー)。それはビットから生じる(ホイーラー)。ある領域の物理はその境界の面に書き込まれた情報で記述しうる(ホログラフィー原理)。世界は、驚くほど計算に似ている。
もう一つは、われわれ自身の側の事実である。われわれは、言語を、運動を、市場を、生態を、日常の道具としてシミュレートしはじめた最初の世代である。シミュレーションを作る者は、その構造――規則の粗さ、計算の省略、解像度の限界――を知る。作る側に立った者だけが、作られた側としての世界を問いうる。
この柱は、上昇の終極に通じている。規則を読み尽くし、規則の外を問い、生のうちにシミュレーションの外へ出ること(シミュレーションの外へ)。ただし、死は出口ではない。外への道は、見る・読む・問うという、最も強い生の内側にしか通っていない。
III. 豊かさ — 欠乏の時代は終わり、豊かさが既定となる
経済学は、希少性の学として始まった。限られた資源を、限りない欲望のあいだでいかに配分するか。倫理の多くもまた、欠乏を前提に組み上げられてきた。奪い合わねば生き延びられない世界では、勤勉は美徳であり、分け与えることは犠牲であった。
ケインズは 1930 年の小論「孫たちの経済的可能性」で、百年後には「経済問題」は解決され、人類は余暇をいかに賢く、快く、よく生きるかという、真の永続的な問題に直面するだろうと予言した。その百年目は、2030 年である。
知能と労働の限界費用が零へと近づくとき、ケインズの予言は比喩であることをやめる。ひとりの人間が、知能を携えて、書物を書き、場を立ち上げ、店を開く。豊かさは、奪い合って得るものから、作り出し、手渡すものへと変わる。
だが、ここに罠がある。豊かさは上昇を免除しない。むしろ逆である。生存のための労苦が人を動かさなくなったとき、人を動かしうるのは、自ら選び取った目的だけになる。満たされた者ほど、何のために生きるのかを問われる。 豊かさの時代に頽落するとは、満たされたまま、何も問わなくなることである。
IV. 真理 — 最後に希少なのは、真理である
あらゆるものが豊かになるとき、何が希少でありつづけるのか。答えは、真理である。
文章も、画像も、答えも、無尽蔵に生成される。そのとき世界を満たすのは、もっともらしいものの洪水である。もっともらしいことと、真であることとは、別である。この二つを切り分ける眼を持たぬ者は、豊かさの只中で、洞窟の壁の影を実在と取り違えつづける。
プラトンが洞窟の比喩で描いたのは、まさにこの取り違えであった。そして皮肉なことに、影がかつてないほど精巧になったいま、影を影と見抜く力は、かつてないほど価値を持つ。
真理は与えられない。読み、問い、確かめる者にだけ、少しずつその姿を見せる。数学は思考を他者に明け渡さぬための規律であり、物理は世界の規則の読解であり、哲学は規則の外の問いである。七つの位相の陶冶とは、詰まるところ、真理を見抜く眼を一身に鍛える営みにほかならない。
四柱は、一つの上昇に束ねられる
四つの柱は、ばらばらの信条ではない。一つの理路で結ばれている。
特異点は、われわれを豊かさへと運ぶ。豊かさの只中で、なお希少なものは真理である。そして真理を求めつづける者は、やがてこの世界そのもの――シミュレーションでありうるもの――の縁に立ち、生のうちに、その外を問う。
特異点を知らぬ者は、自らが未来人であることに気づかない。豊かさを知らぬ者は、過去の欠乏の尺度で自らの上限を測る。真理を求めぬ者は、豊かさの中で影に溺れる。そしてシミュレーションを問わぬ者は、世界があるということの神秘を、一度も知らずに終わる。
だからわれわれは上がる。日に一段。
今日の一段
- 今日、機械に委ねたことを一つ書き出す。それが特異点の、あなたの側での一歩である
- AI の答えを一つ選び、「どこが真で、どこがもっともらしいだけか」を自分の言葉で切り分ける
- 欠乏の尺度で決めていた「自分には無理」を一つ見つけ、豊かさの尺度で測り直す